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漫画・アニメの感想など


王狩

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前回に引き続き、将棋漫画について語りたいと思う。タイトルは「王狩」。まずはキャラクターの紹介から。

 

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久世杏(奨励会2級)。見たもの全てを記憶する特殊能力を持つ。奨励会にて「棋士」を目指す。

 

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高辻図南(奨励会初段)。親元を離れ、清洲九段の内弟子として修行に励む。将棋にかける執念には凄まじいものがある。

 

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日佐英司(奨励会二段)。一見お調子者だが、その内には絶対の自信と激しい闘志を秘めている。

 

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園川圭一(奨励会三段)。プロ入り目前と期待される若き天才。高辻、日佐とともに「次世代の津波」の一角を成す。

 

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綿貫毬乃(奨励会4級)。見かけによらず勝負に貪欲で、盤外戦術を駆使して杏を追い詰める。

 

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牛島毅(奨励会三段)。二十歳で奨励会に入会し、三段まで登りつめる。入会の遅さと泥臭い棋風から「鈍牛」の異名を取る。

 

この漫画も「将棋の子」と同様、奨励会に所属する少年少女達を描いたものである。ただし奨励会の厳しさについて語られているというよりは、そこで戦う少年達の心理描写や人間模様に重点が置かれている。中心となるのは主人公の久世杏と、その幼馴染の3人の少年達だ。

将棋に詳しい方ならご存知だと思うが、これまで女性が「棋士」になった例はない。「女流棋士」という枠組みはあるが、これは奨励会の三段リーグを突破して認められる通常の棋士とは別のものである。作中では女性の最高段位記録は奨励会1級とされているが、実際の将棋界では「出雲のイナズマ」こと、里見香奈の奨励会三段(2016年現在)が最高位である。

何故これまで女性の棋士が現れたことがないのか、あるいはこの先女性の棋士が誕生することはあるのか。これについては多くの議論があると思う。男性と女性の脳には空間認識能力や言語能力に若干の差があると言われており、そこに原因を見出す意見もある。ただ筆者の個人的な考えでは、女性の棋士が存在しないのは、必ずしも男女の能力的な差によるものではないと思う。

例えば囲碁の世界においては女性の棋士は普通に存在しているし、男性が多いとされる科学や数学の分野でも、活躍している女性は少なからず存在する。したがって女性といえども、優秀な頭脳を持ち多大な努力をした者なら、棋士になることも不可能ではないと思う。

そもそも棋士というのは、たとえ男性でも限られた天才しかなることのできない特殊な職業である。幼少の時点でアマ高段に達する棋力を持ち、その天才児達が集まる奨励会で四段の狭き門を突破しなければ、棋士を名乗ることは許されないのである。

米長邦雄永世棋聖の有名な言葉に、「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」というものがある。その言葉の真偽は置いておくとしても、プロ棋士になることが東大に入学することと同等以上の難易度を秘めていることは想像に難くない。

むしろ女性の棋士が存在しない理由は、将棋の普及度が男子に比べて圧倒的に低いことや、そもそも女性にとって棋士になることの優先順位がそれほど高くなかったことに挙げられるのではないかと思う。

どんな職業にも、男性が多い職業と女性が多い職業がある。それは能力的な差というよりも、指向の違いや社会的通念によるところが大きい。これまでは残念ながら四段になった女性はいなかったが、今後もそうとは限らない。生きている内に女性の棋士を見ることができたらいいな、などと勝手に期待している。

 

話が随分とそれたが、この漫画の主人公である久世杏は、奨励会にて棋士を目指す12歳の女の子である。幼馴染の3人の少年達はプロ入り確実と作中で述べられているため、この漫画は杏が奨励会を突破して棋士になることができるかが最大のテーマだったと思われる。と言っても、この漫画は残念ながら完結することなく3巻で終了してしまっているため、その結末は永遠に分からない(泣)。盲目の名人や関西奨励会の少女など、後に語られるはずの設定もあったはずだが、全てうやむやのまま終わってしまっている。作者や編集部にどういう事情があったか知らないが、絵やセリフも気に入っている漫画だったため、非常に残念である。続きが出たら確実に買うと思うので、なんとか描いてもらえないだろうか。

 

 

 

将棋の子

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「将棋の子」という漫画をご存知だろうか。将棋雑誌の編集長も務めたこともある、大崎善生氏による同名の小説を漫画化したものだ。テーマは将棋のプロ棋士養成機関である奨励会、それも奨励会を退会せざるを得なくなった少年達に焦点を当てている。

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この漫画に登場するのは、プロ棋士を志す少年達だ。才能に満ち溢れ、棋力はすでにアマ高段の大人を凌駕し、将来を渇望された子供達だ。しかし、彼らが皆プロ棋士になれるわけではない。天才と呼ばれる集団の、さらにほんの一握りだけが名乗ることを許される、それが棋士という職業なのだ。

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奨励会には21歳までに初段、26歳までに四段に昇段できけなれば強制退会という、鉄の掟がある。厳しい言い方だが、才能のない者には早い段階で諦めさせ、別の道で生きていくことを促すためのものだ。冒頭に登場するのが、その年齢制限を間近に迎えた中座誠三段だ。

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中座は昇段を賭けたリーグ最終局で今泉健司三段に敗北を喫し、自身の退会を確信する。しかし、中座を含む2位以下全員が12勝6敗で並んだ結果、前期の順位の差で中座が四段昇段となったのだ。

※このとき年齢制限により退会した今泉は、2014年のプロ編入試験に合格し、プロ棋士となっている

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奨励会で戦う少年達は、社会人を目指しているのではない。ただ棋士になるために、勝つために戦っているのである。その先にあるのが栄光か挫折かは、誰にもわからない。

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そんな中、加藤一二三新名人の誕生、そして谷川浩司や羽生善治の登場など、将棋界はかつてない変革の時を迎えつつあった。

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谷川以前と谷川以降、そこにはまるで違う理論によって立つ将棋が存在しているかのようだった。谷川に憧れ、谷川を目標にし、谷川の近代将棋に影響を受けた新世代の子供達。後に羽生世代と呼ばれる彼らは、旧世代の奨励会員を大いに苦しめていくことになる。

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かつて将棋は終盤からが勝負とされていた。序盤で多少形勢が悪くとも、結局は力のある方が中終盤のねじり合いを制するのだと。しかし谷川が終盤を体系化したことにより、「終盤は誰が指しても同じ」という状況が生まれた。その結果、序中盤でいかに形勢を損ねず、優位を確立できるかが最も重要と認識されるようになったのである。

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新世代の波に飲み込まれ、21歳までに初段という年齢制限を間近に迎えた山根少年。普通の家庭ではめでたいはずの誕生日も、彼らにとっては死期が近づくことを意味する。

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笠原伸也二段 対 羽生善治二段の対局。追い詰められた羽生は5筋に底歩を打つ。負けたくないという一心が表れた手だった。この手を境に、羽生の気合いに押されるように笠原の指し手が乱れ始める。

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二段から昇段することなく、奨励会を退会した笠原。その後社会人として働きながら猛勉強し、司法書士の国家資格を取得。笠原の将棋は、後に名人となる羽生の中に今も生き続けている。

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物語を通して語られるのが、成田英二少年とその母についてだ。彼は10歳の時点でアマ四段の棋力に達し、周囲からプロ入りを期待されていた。実家が北海道ということもあり、長年プロへの道を決断しきれずにいた彼だが、家族の後押しもあり奨励会に入会する。名人も夢ではないと期待されるほどの逸材だった。

冒頭で述べた通り、この作品は棋士を目指しながらも、競争に敗れ奨励会を去った者たちについて語られている。強い者が勝ち弱い者が負けるという、極めてシンプルであり、それゆえに厳しく残酷な世界。極論を言えば、彼らが敗れたのは彼ら自身の弱さに原因がある。しかし、そんな一言では言い表せないような何かが、この作品には込められている。

谷川や羽生といった棋士たちの栄光の陰で、散っていった多くの無名の若者達。そのうちの一人、成田英二のその後については、ぜひ本作を読んで確かめてもらえればと思う。

 

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巌窟王

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巌窟王」は言わずと知れたアレクサンドル・デュマの小説、モンテ・クリスト伯をアニメ化した作品だ。このアニメは昔1話だけ見て、「なんかカラフルなアニメだな」くらいにしか思わず放置していたのだが、最近になって一気に全話鑑賞してみた。結論から言うと、「もっと早く観ればよかった」というのが本音だ。それほどインパクトがあり、引き込まれる作品だった。

原作のモンテ・クリスト伯は19世紀に書かれた小説なので、ストーリーを知っている方も多いと思う。無実の罪で投獄された男が、長い年月の後に脱獄して巨万の富を手にし、自らを陥れた者たちに復讐していく話だ。原作では伯爵を主人公として物語が進むが、アニメでは復讐される側(正確には復讐される人間の息子)のアルベールの視点で描かれているのが特徴だ。観ている方としては、今後伯爵がどのように復讐を実行していくのか、アルベール達はどうなるのかといった点が焦点となる。

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このアニメを観た人の感想はそれぞれだと思う。ある人は伯爵の境遇に同情し、やりきれない思いを抱くかもしれない。ある人はアルベールの親父のクズっぷりに嫌気がさし、無知で無力だったメルセデスを軽蔑するかもしれない。またある人は単にエデがかわいいと思ったり、フランツとアルベールのBL妄想に花を咲かせたりするのかもしれない。

個 人的に腑に落ちなかったのが、最終的にアルベール達が幸せそうな形で終わっていた点だ。復讐対象者の3人の親父共が抹殺されたのは当然だが、フランツまで殺されてしまった以上、他の子供達も不幸にならなければおかしいのではないだろうか。大体フランツは復讐対象者の子息でもないのに何故一人だけ殺されなければならなかったのか?

物語序盤、伯爵はエデにこう言った。「破滅するのは、我らではない」と。その言葉は視聴者にアルベール達の破滅を予感させるものだったが、実際に不幸をその身に受けたのはフランツだけだった。ヴァランティーヌも毒を盛られる憂き目にあったが、最終話を見る限り問題なく 回復しているようだ。幸せな形で終わるならフランツにも生きていて欲しかったし、誰かが犠牲にならなければならないのなら、それはフランツだけではなかったはずだ。

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もう一つの疑問は、伯爵は結局アルベールを殺したかったのかという点だ。アルベール自身が作中で述べている通り、殺そうと思えば殺す機会はいくらでもあった。実際に決闘のシーンなどでは明らかな殺意が感じられるが、 その後アルベールと再会した場面では自身の過去を冷静に語るなど、行動に一貫性がないように思える。あるいは伯爵自身がエドモンと巌窟王の二重人格のよう な状態で、巌窟王はアルベールを殺すことにためらいはないが、エドモンの方には若干の葛藤があるという解釈もできる。また決闘のシーンでは、実際に戦っている相手がアルベールではなくフランツであることを伯爵が認識していたかどうかという議論もあり、それについてはこちらのサイトが参考になった。いずれにせよ、伯爵がアルベールを殺すという形で復讐を果たすという結末もあったと思うが、本作では伯爵はフェルナンへの直接的な復讐を果たす前に死んでしまっており、フェルナンが伯爵の亡骸のそばで自決するという形を取っている。

思うに、この作品は23話「エドモン・ダンテス」で完結するはずだったのではないか。第24話の「渚にて」という題名からも、どうもこの最終話が蛇足のように思えてならない。エドモン、メルセデス、そしてフェルナンの3人が浜辺で楽しそうに過ごしているシーンも、取って付けたような違和感を感じる。救いのないはずの物語が、綺麗事が並ぶ安っぽい美談にすげ替えられてしまった印象だ。

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いろいろ述べたが、この作品は人間の汚い部分を描ききったという点で評価できると思う。女を手に入れるために友人を陥れたフェルナン、金のためなら娘も売り飛ばすダングラール、不義の子を地中に葬ったヴィルフォール、この世の全てを憎むようになったベネデットなどだ。エドモン、エデ、そしてアルベールなど、 本来は優しい心の持ち主だったはずの者が、憎しみに染まっていく様も見逃せない。原作が原作だからかもしれないが、憎悪をテーマにここまで描いた作品はあまりないのではないだろうか。

台詞集

モンテ・クリスト伯
  • 「裏切りの果実は、摘み取られなければならない」
  • 「日の光のもとを歩んできたお前は知るまいな。罪なくして青春を奪われた男と、孤独と飢えに倒れた老人の物語など」
  • 「全てを奪い去られた者の絶望を、お前にやろう」
  • 「私が欲しいのは絶望だ。お前の果てしない絶望なのだ」
  • 「俺は救いなどもういらない。たとえこの身が消えてしまっても、俺は、俺からすべてを奪い、俺を破滅に追い込んだ人間すべてに、最も残酷で最も陰惨な罰を与えてやる。死という平安すら与えない無限に続く苦しみを、必ず!」
エデ
  • 「一生お供いたします。たとえ破滅の道を走り続けたとしても」
ユージェニー
  • 「誰にも止められないわ。誰かを想う、人の気持ちは」
マクシミリアン
  • 「パリの方々は汚れている!」
ペッポ
  • 「たかがパンと塩を分け合ったくらいで友達になれたら、苦労しないわ」
フェルナン
  • 「もう俺は、負け犬の人生なんて嫌なんだよ!」
カドルッス
  • 「死んだ男が帰ってきた!エドモンは俺たちのことを忘れやしない」
アンドレア・カヴァルカンティ侯(ベネデット)
  • 「手前らのお上品ぶった顔見てると、胸糞が悪くなるぜ!所詮お前らも、俺やこいつと同じケダモノじゃねぇか!」